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一日一生

この格言は、我々が日常生活をどう生きるかを表している。 時は流れ、日々の生活は進化している。確実にゆっくりと人生における経験は積み重なっているのだ。一日はまるで全人生の縮図のようである。

「一生」の別の捉え方がある。全人生は、一日一日の積み重ねであることをイメージしてみる。そしてできる限り最高の日になるよう努力し、集中すること。もしこのような生活を送ることができて毎日500パーセントの努力を実行できれば、満たされた気分とともに日々の生活は価値のあるものとなり、時間の無駄になるようなことはないであろう。この訓練によって人生における洞察力を養うことができる。

全ての人がより幸せになりたいし、より良い人生を送りたいものである。それが自然な姿だ。しかしながらそうなるには、たゆまざる努力を怠ってはならない。毎日全力を尽くす。進歩し成長するにはこれしかないのである。

「一日一生」はまた空手の稽古にも当てはまる。皆それぞれ違うスケジュールで生活している。ある生徒は道場に週一回来ることができ、また他の生徒は週に2・3回来れるかもしれない。各人が稽古にどれくらい時間を費やせるかによる。いずれにせよ稽古をする時は集中し、100パーセント全力投球することが一番大切である。道衣と帯を身に着けた瞬間に稽古に集中する。個人的な問題を道場に持ち込むべきではない。一瞬一瞬を大切にし、その行動に全てを捧げること。

我々は十人十色で、同じ人は誰一人としていない。またそれぞれが多くの様々なプレッシャーを背負って生きている。道場に来ることでそのプレッシャーから解放される事ができる。稽古するときはどんな問題をも忘れ、無心になるよう心がけ、そして汗をしっかりかく。そうすれば気分は優れ、一つの目標を達成したことになる。それから他の責任を遂行し始めることができる。

繰り返しになるが一瞬一瞬を大切に生きること。「一日一生」はシンプルな表現だがとてもとても大事である。

明鏡

我々が大掃除をする際、埃の一つも残さないようにする。この掃除に関してただ周辺をきれいにするのではなく、我々自身そして心をきれいにするのであると言うことを覚えていなくてはならない。

鏡を考えてみる。たいてい埃の一つも残らないように磨いても、そのうちまた埃が表面にたまってくる。そして再び鏡がきれいになるよう磨かなければならない。時として忙しすぎて掃除に十分の時間を費やさない事がある。鏡は曇ると見えづらくなり、定期的に磨ききれいにしてこそ使い道が出る。

今度はあなた自身を鏡として考えてみる。我々は常に清潔でいなければならない。しかしながら顔を洗い、歯を磨き、風呂に入る事は忘れない一方で、内面を掃除することや心の清潔さを保つことは怠りがちだ。これが空手の稽古をし、座禅を組む一つの理由である。空手を通して肉体的にも精神的にも成長できるが、座禅を組み内面を磨くことも忘れてはいけない。

道場に来るたびに鏡を磨くことを思い起こして欲しい。稽古をあなた自身を磨く時間として利用し、それによって自分自身そして他人を明瞭に映し出すことができる。そのうちあなた自身を、そして他の人々をより良く理解できるようになるであろう。道場においては、あなた自身に埃一つも残さないように心掛けること。

明鏡と言う考えは単純に聞こえる。しかしながら、とかく精神的に怠惰になりがちだ。明瞭に物事を見ることができずに困惑、失望、落胆、怒ったりすることもある。不注意による怪我も起こりうる。しかし日々のシンプルな練磨によって、毎日の稽古そして生活における問題を避けることができる。明鏡であれば道は開ける。そして自身を明鏡にするよう努力すれば、次第に物事を明瞭に見れるようになる。また以前よりさらに増して人生に対して感謝の気持ちを持てる。この過程は空手修行の一環である。

因果応報

因とは原因、果とは結果、応報とは報いのことを意味する。これを一緒にすると、自分のなした行為に応じてそれに相当する報いがあると言うことである。そしてこの場合の報いとは、自分のなした行為の後に長い間経ってから自分に戻ってくることを意味する。つまり我々の行為の多くは即時の結果と長期間の報いが伴う。

我々は即時の結果のみを気にし、長期間の報いについてはとかく忘れがちである。この先見の明のなさによって十分な潜在能力を引き出すができず、また不幸をもたらしてしまうことも可能だ。例えば娯楽に全てのお金を使ってしまい将来のために全く貯金をしなければ、この先見の明のなさによって経済的危機を迎えてしまう。もしくは仕事を先延ばしにしたり中途半端な仕事をしたりすれば、すぐに緊張から解き放される事ができる。しかしながら、長期間の報いは更なる仕事として戻ってきたり、また悪い評判をもたらしたりする。

因果応報は空手の稽古にも同様に当てはまる。道場において手を抜いているとする、そうすれば短期間においては楽になるかもしれない。しかしそのような行為によって乏しい体力、技を招き、また怪我をしたり稽古に対して不満をもたらすことにもなり得る。

我々の行動は結果と報いを伴うことを忘れてはならない。報いは長い時間がかかるかもしれないが、そのうち来るであろう。結果や報いに対して驚いてはいけない。なぜならその根源は自身の行動にあるのだから。代わりに最初から最後までベストを尽くすべきだ。そうすることで、我々の行為に対する結果と報いを受けるに足るのである。



一日一生 One Day One Lifetime
(中村忠著 英語版 主婦の友社)から抜粋・和訳